横溝正史の足跡
[2008/09/10]
下諏訪在住の文学者 市川一雄さんは、95才の相談役の良き話し合い手で、時々訪ねて来られます。諏訪地域のいろんな歴史や風土、風物を詳しくご存じの方で、話しがつきない方です。
この日は、専修大学の山口教授とうら若き乙女達7,8名をつれて丸高蔵の千の水にて食事をされました。
山口教授は、日本文学を専門とする先生で、今回諏訪へ来た目的は、横溝正史が諏訪で「犬神家の人々」を執筆したが、そのころの宿泊先を訪ね、確認するためでした。昔の話なので、年配者に聞くがよいだろうと、当社の相談役を紹介するために、お昼を丸高にしたようです。
先生のお持ちの横溝正史の書いた文章には、諏訪にて3カ所家を移ったことが書かれており、1つは病院の後ろ、もう1つは元置屋の女将さん宮下さんからの借家、もう一つは、既に午前中に確認できた、うなぎの及川(おびかわ)の近くであるとのことでした。
食後、相談役を訪ねたが、横溝正史について覚えていることもないようで、女子学生相手に、戦争中の話になったようです。そこで以前、私が、横溝正史はこの旅館で小説を書いていた、と聞いたことのある「ひさご旅館」さんへ案内することにしました。
大挙して訪ねると、「ひさご旅館」の木下さんご夫妻がちょうどいらっしゃり、お話しを伺うことが出来ました。11,12年前に、横溝正史の奥さんと娘さん
それからお孫さんを連れて、来られたとのこと。入り口の位置や内装外装等、かなり手を入れているので、変わってしまっているとも話された。横溝正史が借り
ていた頃の持ち主のことは、木下さんのお父さんが購入されたので分からないとのことだった。料亭「信濃」の女将さんだった小池さんにも携帯から問い合わせ
るなど、煩わせてしまったが、以前の持ち主である宮下さんのことについては、はっきりは分からずじまいであった。
その後、先生達一行は次の聞き取りポイントへと向かわれ、私は一時の「文学探偵」のお手伝いを終了した。
澄んだ湖のほとりに立つ見事な洋館建ての片倉館と、当時日本でも有数の富豪だった片倉一族という地方の名家、そのころはもっと賑やかだったろう大手町界隈の飲み屋街の一角に居をかまえて、横溝正史は想像力を刺激されたのだろうかと思った。
構想を得ただろうといっても、片倉一族にはおどろおどろしい部分は無いので、念のため。