「信濃路」の文字の作者 黒田石鼓先生
[2008/04/30]

先日、お客様の注文を受けた担当者から、「おどろいちゃった」と報告があった。
「お客様の先生が「信濃路」を作った人であるとのことを言われて、何のことか分からずに良く聞いたら、商品パッケージに使われている「信濃路」という文字を書いたのは、自分の書道の先生であるとのことだった。ほんとかな。」
数年前に、この文字を書いた人が誰なのか、現在95才の当社の相談役に聞いたが、もう全く覚えていないとのこと。多分、諏訪地域の印刷会社から頼まれて、近くの書道の先生が書いたのだろうと予想したが、手がかりはまったくなく、分かるはずもないものとあきらめていた。
それが、ひょっこりと手がかりが現れた。早速、失礼をも顧みず、お客様の早川様に電話し、お話を伺った。
「自分たちの先生は、黒田石鼓と言う人で、そのお弟子さんの浅田さんのそのまた甥御さんからの依頼で、「信濃路」という文字を書いた。その後、浅田さんは
その文字がどのように使われたかずっと気になっていていつも探していたが、つい先頃千葉県内の店でその文字に出会うことが出来た。早速その商品を先生に送
られた。先生も浅田さんに頼んで何個か入手し、それを自分たちにも配ってくれた。食べてみたらおいしいお味噌のなので、注文しました。」という経緯を親切
に教えていただいた。
それで、またまた失礼を顧みず、黒田石鼓先生に電話をしたがそのときは不在。翌日、先生の方から電話をいただき、改めてお話を伺った。
先生はもうすっかり忘れていたが、浅田さんから、自分の書いた文字が使われた味噌があったと、連絡してきた。さて思い出せないと思っていたが、浅田さんの
ところには、そのときの試案10点近くが保存されていたようで、その半分を浅田さんが記念に取り置き、先生に半分を送ってくれたとのこと。製品や試案の文
字をみて、思い出したとのことである。
また、短歌の会もされているが、その仲間にも配ったら、その内の1人が諏訪の出身者で、丸高さんは自分の同級生であるとの話も出ておどろいたとも。先年、
ご主人を亡くされたが、65年前に、ご主人の仕事のことでご夫婦で諏訪へ来られたことがあり、そのおり、1人で霧ヶ峰へ登ったことも話された。
不思議に縁が深いことを話されていた。 そんな心があつくなるお話しを伺うことが出来た上に、改めてご注文も頂いた次第である。
探していたものを、一旦はあきらめて、すっかり忘れた頃に、見つかったときは、懐かしさと、うれしさが一緒になり、不思議さも合わせて、心がわくわくすると同時に、あつくなった。